我々は、見ることで、世界を認識しています。見ることは、世界を認識すること。では見るだけではなく、それを描くということは、世界を捉える、自分がもっとリアルな世界を掴まえる、という意味を持つのではないかと思います。デッサンは、リアリティーを掴まえる方法の一つということが出来るでしょう。

リアリティーとは難しい言葉ですが、その空間素材身体と響き合うこと、日常と自己とが繋がる接点です。そのようなリアリティーの積み重ねが、自分の感性や視点を形作る、やがて作家の持つ世界観になっていくのではないかと思います。我々は作品を通して、作家の世界観に触れるのですが、いい作品には必ずリアリティーがあります。
「わたしたちの存在と日常世界との間にある、あの皮膚質のような、膜のにぶい感触、物とわたしたちの関係において恐ろしいのは、物を見つづけていると、コップならコップという名称性がうすれてしまうことだ。コップがガラスになり、ガラスが透明に、透明が無限になることだ。どこかでこの茫然とした、人間と物との広がりをつかまえることが必要だ。そして肉体の鼓動とともに吐き出すことだ。コップにも、椅子にも、窓にも、すべては含まれている。それなのに、コップはコップであり、窓は窓であり、光は光なのだ。コップも、窓も、光も、その背後に、いくえにも重なったおもみを持っている。だから、わたしたちが所有しようとしても不可能なのだ。」
榎倉康二 みずゑ MIZUE NO.804 1972/1 美術出版社 発行 特集72=創造の原点

見えていると思っていたのだが、実はあまり見えていなかった。そんな経験はデッサンを始めたばかりの人が良く感じることです。それがだんだんと見えてきます。コップは、実はコップではない!全ては関係している!

存在に迫るとか、大変そうに思われますが、見て、感じて、目の前のものと触れ合うことから始まります。「見る」⇔「描く」⇔「思考する」というバランスがあって成立する、体感なのです。「見る」⇔「描く」ことがマンネリズムに陥ったり、「思考する」ばかりで手が止まったりするときは、リアリティーは遠ざかってしまいます。でも多くの人がデッサンを通して、「未知の領域」に触れたのではないかと思います。

にほんブログ村 美術ブログ デッサン・スケッチへ