なぜデッサンが必要なのか?

―東京藝大の入試、つまり、デッサンや油絵といった実技の巧みさで受験生を選別するシステムは、結果として、アーティストとしてのすぐれた資質を見分ける機能を果たしていないのかもしれない。海外のアートスクールでは、東京藝大のような実技の試験ではなく、それまで作った作品のファイルだけで、選考をするところもあると聞く。英国の名門、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートも、そのような選考システムだという。こうした入試の方が、個性や創造性、表現の意欲といった資質が見やすいのだろう。-
東京藝大物語 茂木健一郎著 講談社 P58抜粋

懐かしく切ない青春小説、一気に読ませて頂きました。ズバリ世間の意見を代表する文言がありましたので、抜粋させていただきます。上記の一節、やっぱりそう世間から見られているのだなという感想でした。茂木さんのおっしゃる通り、美術教育とアートの現実が齟齬を来たしている、どうも原因は入試制度が大きく影響しているようだ、唯一の国立美術大学が日本全体に与える影響も大きいのかもしれない、ということまで大筋頷けます。ただ当サイトはタイトル「熱血!デッサン塾」が示す通り、デッサンを大切にしたいのです。多くの人がデッサンを否定的な方向に誤解し、世間一般がデッサン軽視の方向が進むのは悲しい。

昨今の世の変化は著しいものがあり、必要なだと思われるものもあっという間になくなる様です。それは必要ではないからだ、という人はいるかも知れません。しかし、受け取り手がいないから無くなってしまう、それは上手く伝わらないから受け取れないという連鎖であり、少子化の現在それが恐るべきスピードで進むことでしょう。デッサンというものがここで消えていくことになれば、私はこのようなサイトを運営しながら、本質的なことが何も出来なかったということになります。デッサンはいかなる意義を持つか整理し、あらためてその得失を分析して参りたいと思います。良識を持つ方々に、少しでもデッサンの意義が伝われば幸いです。